前回の記事に引きつづき、メディアが報道する「日韓関係の摩擦」「悪化」が、完全な「嘘」であることを、ご紹介していきたいと思います。
前回、「日清戦争」は「日本(在日勢力)」が、「朝鮮」を「清」の脅威から守るという目的で行われたということを、書きました。
実は、「朝鮮」を他国の脅威から守るために行われた戦争は、これだけではなかったのです。
⑦「日露戦争」は、「韓国(大韓帝国)」を「ロシア」の脅威から守るために行われました。
今度は、「日露戦争」について見ていきましょう。
———————-(以下こちらから転載)
日露戦争は、1904年(明治37年)2月8日から1905年(明治38年)9月5日にかけて大日本帝国とロシア帝国との間で行われた戦争である。
朝鮮半島と満州の権益を巡る争いが原因となって引き起こされ、満州南部と遼東半島が主な戦場となった他、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた。
最終的に両国はアメリカ合衆国の仲介の下で調印されたポーツマス条約により講和した。
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戦争目的と動機
大日本帝国の旗 大日本帝国
ロシア帝国の南下政策による脅威を防ぎ、朝鮮半島を独占することで、日本帝国の安全保障を堅持することを主目的とした。
開戦の後に明治天皇の名により公布された『露国ニ対スル宣戦ノ詔勅』でも、大韓帝国の保全が脅かされたことが日本の安全保障上の脅威となったことを戦争動機に挙げている。
ロシア帝国
満洲および関東州の租借権・鉄道敷設権等の利権の確保。満州還付条約不履行の維持(満州に軍を駐留)。
朝鮮半島での利権拡大における日本の抵抗の排除。
直接的には日本側からの攻撃と宣戦布告を戦争理由とした。
———————-(転載ここまで)
当時の「満州」や「朝鮮半島」周辺では、「ロシア」が「南下政策」を推し進め、進出しはじめていました。
そのため、「韓国」が、またもや他国の脅威にさらされることとなりました。
「朝鮮半島」を「ロシア」に取られてしまったら、日本列島までも大変な脅威にさらされてしまいます。
そこで、日本は、ロシアと戦争をすることになったのです。
その結果は、以下のようになりました。
——————–(以下こちらから転載)
1903年8月からの日露交渉において、日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案、いわゆる満韓交換論をロシア側へ提案した。
しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエヴゲーニイ・アレクセーエフらは、朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に興味を示さなかった。
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日本はこの戦争の勝利でロシア帝国の南下を抑えることに成功し、加えて戦後に日露協約が成立したことで日露関係は急速に改善し、革命によりロシア帝国が崩壊するまでその信頼関係は維持された。
この条約により相互の勢力圏は確定され日本は朝鮮半島の権益を確保した上、ロシア帝国の軍事的脅威を排除して当面の安全保障を達成した。
また新たに東清鉄道の一部である南満州鉄道を獲得するなど満州における権益を得ることとなった。
こうして、日本は最大の目標は達成した。
しかし講和条約の内容は、賠償金を取れないなど国民にとって予想外に厳しい内容だったため、日比谷焼打事件をはじめとして各地で暴動が起こった。
———————-(転載ここまで)
ロシアも日本も互いに消耗戦となり、国内に大きな負担をかけていました。
そのため、「日本の勝利」に終わったものの、「日露講和条約」というかたちで戦争は幕を閉じました。
<日露講和条約の様子>
日本は「朝鮮半島」の領土と利権を守り、ロシアの脅威を排除することができました。
戦争の途中で、日本がロシアに対して、「満韓交換論」も持ち出したところを見ると、おいしい満州の利権を捨ててでも「大韓帝国」を守りたかったことがうかがえますね。
実は、当時の日本の「総理大臣・桂太郎」も、もれなく「朝鮮」の血を引く人物でした。
<桂太郎>
———————-(以下こちらから転載)
長州藩士であり、毛利家の庶流で重臣であった桂家の出身で、大江
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(1900年)9月15日には、拓殖大学の前身である台湾協会学
また、現在の獨協中学校・
第
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本姓は大江氏。『日本の名家・名門 人物系譜総覧』246頁によれば、
「桂家は、三度首相に就いた桂太郎を出した家。
———————-(転載ここまで)
「桂太郎」は、「山口県」出身で、田布施人脈の巣窟である「長州藩」の藩士でした。
そして「毛利家」と血がつながっています!
「毛利家」は、「島津家」と共に、日本のさまざまな利権を握って、ぼろ儲けしている一族です。
彼らの正体は隠されたままでしたが、「RAPT BLOG」によって全て暴かれました。
○RAPT BLOG 島津家と毛利家が日本を支配していることの本当の意味。またはハロウィンが「国常立尊」を召喚するお祭りである可能性について。
○鹿児島(薩摩)と山口(長州)と高知(土佐)はドルイド教で結ばれた「太陽派」であり、「月派」を倒すために明治維新を起こしました。
「毛利家」の家祖と呼ばれている、「毛利季光」の父は「大江広元」といいます。
<大江広元>
彼の出自は、諸説あるのですが、「藤原北家」の血が流れているようなのです。
———————-(以下こちらから転載)
広元の出自は諸説あり、その詳細は不明。
『江氏家譜』では藤原光能の息子で、母の再婚相手である中原広季のもとで養育されたという。
しかし『尊卑分脈』所収の「大江氏系図」には大江維光を実父、中原広季を養父とし、逆に『続群書類従』所収の「中原系図」では中原広季を実父、大江維光を養父としている。
———————-(転載ここまで)
このように、歴史的な戦争の裏では、必ず「在日朝鮮人」勢力が存在するのです。
そして日本が「韓国」を「属国」ではなく、対等に接していたことがよく分かる出来事があります。
⑧「李氏朝鮮」最後の皇太子「李垠(り・ぎん)」に、日本の皇族「梨本宮」から「方子王女」が嫁いでいます。
<李王家の人々>
「大韓帝国」が「日本」に統治されたことを機に、朝鮮半島は大いに栄えることとなりました。
朝鮮の王家である「李家」は、日本の皇族に準ずる「華族」よりも、高い身分を与えられました。
そして「李家」の最後の皇太子、「李垠」の元に、日本の皇族である「梨本宮方子王女」が嫁いだのです。
<方子と李垠>
日本は古来から朝鮮半島の人々と深く繋がっているだけでなく、近代においても政略結婚が成されて、強固に絆が結ばれていきました。
で、この「李方子」は、「北朝鮮拉致問題」で必ず登場する、「横田早紀江」にそっくりなのです。
<左:李方子 右:横田早紀江>
北朝鮮に拉致されたということになっている「横田早紀江」の娘、「横田めぐみ」は、「金正恩」の母親だと言われています。
<左:横田めぐみ 右:金正恩>
「RAPT BLOG」でこの衝撃的な真実を知ったときに本当に驚きました。
そしてこれまで北朝鮮は恐ろしいと思い込んでいたのですが、日本の脅威ではないということも、ハッキリと理解することができました。
○RAPT BLOG 北朝鮮のトップ「金正恩」は日本の天皇家の血筋です。
「日本」は「韓国」と一つに繋がっているだけでなく、「北朝鮮」とも一つに繋がっているのです。
⑨「日本人」が違和感を感じる「韓国」の礼儀作法が、日本国内のいたるところで見られます。
「日本」と「朝鮮」は、昔から深い「親戚」関係にあることをご紹介してきました。
日本の主要な人物、権力者の多くは、「在日朝鮮人」です。
上に添付している画像は、「朝鮮飲み」と呼ばれる、「韓国」の礼儀作法のひとつです。
あの「羽生結弦」選手までもが「朝鮮飲み」をしていただなんて、正直「やっぱり!」と思ってしまいました。
実はこの作法、水を飲むときは、本来やる必要がありません。
韓国では食事の席でお酒を出されても、目上の人の前では堂々と飲むことができません。
目上の人にすすめられてはじめて、飲むことができるようです。
そのときに、口を隠して、よこを向いて飲むのだそうです。
「朝鮮飲み」は、日本の国会議員たちが行っていたことがきっかけで話題となりましたね。
どんな人がやっているのか見ていきましょう。
<竹田恒泰>
<小林よしのり>
<菅直人>
<舛添要一>
このように挙げるときりがありません。
「コンス」という「お辞儀」も、「美智子皇后」がいつもやっていて批判されていますね。
上記の画像の「天皇」が行っている「お辞儀」が、日本流の作法だそうです。
「美智子皇后」の姿勢が、「コンス」のお辞儀です。
韓国の芸能人たちは、ふつうに「コンス」であいさつをしています。
庶民としてはどちらでもいいのですが、これも「日本」が「韓国」と文化的にも深く繋がっている証拠です。
特に日本の中心人物たち、有名人たちが、「韓国(朝鮮)」と切っても切れない関係にある証拠ですね。
今回は歴史上の出来事、文化の点から、「日本」と「韓国(朝鮮)」が一つに繋がっている証拠をご紹介しました。
このようにどこからどう見ても、「日韓関係の摩擦」という報道は、「嘘」だと言えるのです。
次回は現代の「日本」と「韓国」の深い関係について、ご紹介していきたいと思います。