森友学園に加計学園‥。
いまだにマスコミは報道しつづけていますが、きっと世の中のひとたちは、自分とはまったく関係ないと思い無関心になっているかもしれません。
とりあえず「安倍晋三」が悪いんだな、ということで何となくかたづけてしまっているかもしれません。
なぜこれらの問題がハッキリと理解できないかというと、一方に都合の良い報道しかされないからです。
たしかに安倍晋三も悪事を働いています。
同時に安倍晋三をたたき潰したい勢力も存在します。
一方の勢力に都合の良い報道ばかり見聞きしていても真実にはたどりつくことができません。
日々のニュースから得られる情報は、ものごと全体の半分にも満たないのです。
今回の「森友学園」から「安倍晋三」「麻生太郎」の悪事を暴いた記事が、以下の「RAPT BLOG」の記事にとてもわかりやすくまとめられています。
○RAPT BLOG-TALK RADIO 〈VOL.09〉 森友学園問題は人工地震の前触れである可能性大。
○RAPT×読者対談〈第105弾〉関ヶ原の戦いより千年前に起きた天下分け目の戦いの真相。またはカタカムナと安倍晋三の深いつながり。
今回の「加計学園問題」で、国有地を無償譲渡されて大騒ぎになっていますが、個人的にはそのことよりも「安倍晋三」と「加計孝太郎」は血がつながっている「いとこ」であるという話題のほうが衝撃的でした。
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加計孝太郎の学歴
ここまで著名な人ですし、学校運営をしているので出身中や出身高校がご自身のプロフィールで出てくるのかと思いきや、全くわかりませんでした。
出身地が広島県という事でおそらくは広島県内の中学高校を過ごされたのではないかと思います。
大学の方は、上京しており立教大学出身という事が判明しています。
安倍首相とは出会ったのは立教大学を卒業した頃で、出会いの場所はアメリカのカリフォルニアと言われています。
安倍首相は1977年にカルフォルニア州に語学留学をしています。
加計孝太郎氏は、同じカリフォルニア州のカルフォルニア州立大学ロングビーチ校に語学留学。
お互いアメリカ留学中に出会い、それから40年来の親友『腹心の友』と言われています。
(中略)
岸信介氏が1920年に東京帝大を卒業後、農商務省に入省しました。
その入省と同じ時期に、二つの家庭(本妻と妾)を持ったと言われています。
そのことを裏付けるかのように長男(本妻との子)信和の誕生は1921年11月生 3歳のとき小児麻痺発症して亡くなられています。
その後に加計勉氏(妾との子)が1923年3月27日に生まれ、洋子(本妻との子) が1928年6月11日に生まれています。
よって、安倍首相の母「洋子氏」と加計孝太郎氏の父「加計勉氏」は兄妹ということになります。
それにしても、加計孝太郎氏は祖父の岸信介氏にそっくり!
やっぱりおじいちゃん!目元や口元、耳なんて同じですよね(笑)
ということは、みなさんもうお気づきですよね!
そう!!
加計孝太郎氏と安倍首相は「腹心の友」ではなく
「従兄弟同士なのです!!」
そう考えると、何やら深い闇的なものを感じてしまいませんか?
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かれらの血脈はどこまでも広がっており、血族のなかで美味しい話を山分けしていることが垣間見えました。
ではかれらがコソコソと国民に黙って美味しい話にありつこうとしていたところを邪魔した犯人はだれでしょうか。
それは「麻生太郎」です。
かれが率いる勢力によって今回の問題が表面化し、「安倍晋三」側のひとたちの儲け話が頓挫しつつあるのです。
いつも政治的な争いの裏には「安倍晋三」と「麻生太郎」の姿があります。
にもかかわらず報道されるのは一部の悪人たちばかり。
今回の「加計学園問題」では「安倍晋三」だけが大きく取り上げられ、深くかかわっている「麻生太郎」のことはほとんどスルー状態です。
「加計学園問題」は、「安倍晋三」の友人である「加計孝太郎」に国有地が無償譲渡されたことが問題になっていますが、それと同時に、「加計学園グループ」の「岡山理科大学獣医学部新設計画」をめぐる問題も噴出しています。
いろいろな問題が絡みあっているように見えますが、紐解いていきますと「安倍晋三」をたたき潰したいという目的と、「獣医学部」新設を阻止したいというふたつの目的が見えてきます。
調べを進めていきますと、「麻生太郎」と「獣医学部新設反対勢力」のつながりが非常に強いことがわかりました。
この獣医学部新設を猛反対している勢力が「日本獣医師会」です。
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内閣府主導で行っている国家戦略特別区域諮問会議における「岩盤規制改革」に強く反対し続け、「獣医学部の新設が次々と認可されるような事態は、何としてでも阻止しなければなりません」と主張し、地方の同会会長へ、獣医学部新設に関わる反論の提出を求める旨を通達している。
日本経済新聞と産経新聞は、日本獣医師会が獣医学部の新設に反対するロビー活動を行っていると報じている。
産経新聞によると、京都産業大学に獣医学部新設の動きがあることを知り、「計画阻止のために現職大臣らに激しいロビー活動を行っていた」とされ、2017年1月30日発行のメールマガジンにおいて「粘り強い要請活動が実り、関係大臣のご理解を得て、何とか『1校限り』と修正された」と所属会員に報告している。
日本経済新聞によると、同会の主張への配慮がなされたために、まず1大学という前提で、岡山理科大学への新設が検討されたと報じられている。
国家戦略特区ワーキンググループ座長でアジア成長研究所所長の八田達夫は、座長の職務により「日本獣医師会の政治力のすさまじさを思い知った」と述べている。
(中略)
2015年6月30日、安倍晋三内閣が閣議決定した「石破4条件」により獣医学部新設は非常に困難となったことについて、日本獣医師会会長と共に説得した日本獣医師政治連盟委員長の北村直人は獣医師会の会議で、新設を阻む壁を作ってもらったと成果を語っている。
産経新聞によると、日本獣医師会は、京都産業大学に獣医学部新設の計画を阻止するため、地方創生担当相の山本幸三、文科相の松野博一、農水相の山本有二、副総理兼財務相の麻生太郎、元法相の森英介ら大臣らに激しいロビー活動を行っていたとされる。
産経新聞は、民進党の玉木雄一郎が獣医師会の総会で獣医学部の新設阻止を宣言し、日本獣医師会が玉木に100万円の献金をおこなっていることから、日本獣医師会と玉木の「深いつながりが明らかになっている」と主張している。
産経新聞によると、日本獣医師会会長の蔵内勇夫と日本獣医師政治連盟委員長の北村直人は、獣医学部の新設を阻むために、「国家戦略特別区域」の担当である地方創生担当大臣の石破茂に働きかけ、日本獣医師会の強い意向により「石破4条件」が盛り込まれたため、獣医学部新設が極めて困難となったとしている。
石破は産経新聞の取材に対し、獣医師会からの4条件盛り込み要請について「そのような要請はなかった」と回答している。
2016年12月8日に、獣医師会会長で自民党福岡県連会長の蔵内勇夫が、地方創生担当大臣の山本幸三に直談判をして、「新設は1カ所1校」と認めさせ、これにより新設は学校法人加計学園1校に絞られたと産経新聞で報じられている
。
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獣医学部は50年前に新設されたのが最後、獣医学部の猛反対によりいっさい新設が認められていません。
獣医学部新設問題では、よく家畜の管理に関する問題が取り上げられていますが、最近はペットブームで犬、猫だけでなく、さまざまな動物が一般家庭で飼育されるようになったため、自然に獣医の需要は高まっているのではないかと思われます。
じっさいに有名な動物病院になると数時間待ちというところも存在します。
一般家庭で動物を飼育する機会が増えるなら、獣医になりたいという夢をもつ若者も自然と多くなります。
一般的に考えると、学ぶ機会や場が増えることはよいことに思われますが、「日本獣医師会」はそれを強力に阻止してきました。
「獣医師」という価値性をたもち、料金の低下や顧客の離散をふせぐため、というのが大きな理由のひとつです。
とにかくかれらは私利私欲のことしか考えていません。
では、だれがその力の源となっているのか。
それは日本獣医師会の現会長「藏内勇夫」です。
かれはかたちだけ「獣医師」の経歴を持った「政治家」であることがわかりました。
<蔵内勇夫>
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1979年(昭和54年)4月 – 臨床獣医師。
1980年(昭和55年)7月 – 国会議員秘書。
1987年(昭和62年)4月 – 福岡県議会議員初当選、以後8期連続当選。
2001年(平成13年)5月 – 福岡県議会議長。
1953年福岡県筑後市出身。1972年3月に福岡県立八女高等学校卒業。
1979年3月に日本大学農獣医学部獣医学科卒業。1987年に福岡県議会議員、1993年に福岡県獣医師会会長、1996年に日本獣医師会理事、2001年に第54代福岡県議員会議長、2005年に日本獣医師会副会長、2010年3月に九州大学大学院博士課程修了(農学博士学位取得)、2013年に第12代日本獣医師会会長就任。
蔵内修治代議士に巡り会い、その政治基盤を継承したことにより、政治家としての活動をスタートしている。獣医資格をもち、公職を多数もっている。
また、自由民主党筑後支部支部長の要職にもある。
麻生太郎の地元の盟友でもあり、息子の謙は2016年10月23日に行われた衆議院福岡県第6区の鳩山邦夫衆院議員の急死に伴う補選に麻生の支援を受けて出馬したが、菅官房長官の支援を受けた鳩山二郎に惨敗している。
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大学卒業の翌年には獣医とはまったく関係のない国会議員秘書となっています。
その後の経歴を見てもかたちだけ「獣医学」に関わっているだけのように見えます。
そんなかれは悪名高い「麻生太郎」の盟友なのです。
かれらの共通点は地元が同じ福岡ということだけではありません。
「麻生家」と「蔵内家」は非常に有名な「炭鉱主」でした。
先祖代々権力を受け継いできた「エリート」一族なのです。
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蔵内勇夫は「福岡県政のドン」と呼ばれている。
福岡県議8期のキャリア、長い間自民党福岡県議団会長の会長を務めている。43人の県議たちを束ね、建前上は県議団会長は原口剣生が務めているが、院政を引かれたうえで踊っているに過ぎない。
蔵内勇夫議員自ら作戦を練るが決して自分の手は汚さない。
同じ県議のバッジをつけているのにもかかわらず、他の議員たちは蔵内の前では直立不動であり、何一つ逆らえない。
全員イエスマンになってしまっているのが現状だ。
今回の6区の補欠選の候補者選定でもこの構図にいささかの狂いも生じていないし、選考委員会のメンバーは何をするのか役目も決まっている。
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「麻生家」の立派な邸宅が観光地となっているように「蔵内家」の邸宅も同じように一般公開されています。
まずは「麻生家」の大邸宅、「大浦荘」をご覧ください。
一般庶民には考えられない規模の大豪邸ですね。
そして、以下が「旧蔵内邸」になります。
贅を尽くしたご立派な邸宅です。
炭鉱で庶民を奴隷のように働かせて得た富で築かれたお屋敷になります。
炭鉱では「タコ」とよばれたひとたちが残酷な強制労働をしいられていました。
くわしくは以下をお読みください。
そしてこの「旧蔵内邸」の敷地内には、あやしげな石の祭壇のようなものも存在します。
この祭壇を見てすぐに連想されたのが「マヤ文明」です。
「マヤ王国」は非常に多くのひとたちを生贄に捧げた悪魔崇拝国家でした。
<マヤ パレンケ遺跡>
似てませんか??
さらに不可解なものを発見しました。
「旧蔵内邸」祭壇の上部にある三つの石塔のアップ画像が以下になります。
えっ?!思わず声がもれてしまいました(笑)。
この画像だけ見ると、誰もがエジプトを連想するのではないでしょうか。
ちなみに、以下の画像はエジプトの「女神イシス」です。
<女神 イシス>
「マヤ」に「エジプト」‥。悪魔崇拝、残酷な生贄儀式の聖地です。
「蔵内家」のひとたちはこの祭壇で悪魔崇拝をおこなっていた可能性が高いです。
「悪魔崇拝」については、ぜひ以下の記事もお読みください。
○マヤ・アステカ・インカ文明で行われた残酷な生贄儀式が、すべて日本に起源があるという明確な証拠。
○日本と古代エジプトと悪魔崇拝のつながりが一発で分かる幾つもの物的証拠。
歴史や陰謀論にくわしいひとならすぐにピンとくるはずです。
観光サイトには以下のようにしか説明されておらず、あやしさが増すばかりです。
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旧藏内邸の西山麓には、上深野村の田園風景を見下ろすように、藏内一族の久良知重敏・藏内次郎作・久良知政市3人の銅像広場があります。
重敏は一族を代表する偉人であり、保房にとって妻の祖父、政市は妻の父、次郎作は育ての親です。
銅像は第二次世界大戦時に金属供出され現存しませんが、現在は広場の石垣や並列する3基の台座が残っています。
銅像銘文には大正8年5月とあり、保房が邸宅建設と同時に造営しました。
銅像広場の壮大な規模、台座の近代的意匠もさることながら、台座に嵌め込まれた陶製レリーフには筑豊炭坑と積出港の風景と、採掘最前線のツルハシとカンテラが描かれ、別のレリーフには上深野の農村風景と稲穂と鎌が描かれ、正面には三人を讃える陶製の碑文が埋め込まれています。
これらから藏内氏の出自である農、そして炭鉱という生業への感謝の想いと実業家としての謙虚さが伝わってきます。
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「蔵内家」はもともと「宇都宮家」の家臣でした。
そして「宇都宮家」は「麻生家」のルーツでもあります。
「麻生家」と「宇都宮家」の関係については以下の記事をお読みください。
蔵内家について、以下のように説明されています。
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<藏内鉱業の主要炭鉱である峰地一坑遠景>
藏内家は中世の豊前国を治めた宇都宮氏(城井氏)の家臣といわれ、宇都宮氏滅亡後はここ深野村で帰農しました。
旧藏内邸に隣接する貴船神社の燈籠に享保6年(1721)藏内彌治兵衛、明和7年(1770)の鳥居には藏内治郎兵衛の名があり、地元の資産家の一族でした。
藏内次郎作は明治18年、いちはやく炭坑に着手していた同族の久良知重敏、政市親子と養子の保房を頼り、田川郡後藤寺「崩レ」の炭坑の採掘を始めました。
その後、峰地坑(添田町)、大峰坑(大任町・川崎町)、足立坑(小倉北区富野)、京殿坑(水巻町古賀)など規模を拡大し、大正5年、藏内鉱業株式会社を設立し、保房が社長に就任しました。
大正8年には全国6位の産出高をあげ、その繁栄を極めましが、保房は邸宅落成の大正10年に59歳で、次郎作は翌々年77歳で亡くなり、その後は長男の次郎兵衛社長と次男の正次を中心に会社を経営しました。
さて藏内、久良知家の鉱業経営は明治16年(1883)頃からの炭鉱経営が主力でしたが、実は大正時代には既に、錫を主力とした尾平鉱山(大分県緒方町)や大串金山(長崎県)などに規模を拡大していました。
そして昭和14年には峰地・大峰炭鉱を古河合名会社へ譲渡し、会社を解散し、炭鉱から金属鉱業「藏内尾平鉱業所」へと大転換しました。
しかし戦後の恐慌などで昭和34年(1959)の尾平鉱山の閉山し、約75年間続いた「藏内鉱業」の歴史は幕を閉じました。
藏内次郎作は明治41年から5期にわたり衆議院議員を務め、大正4年には小倉鉄道(現在の日田彦山線)の敷設、城井神社(中津城内)の再建、また保房は田川中学、築上中学の創設、宇島鉄道開通など公共事業に力を注ぎ、次郎兵衛は高崎山(大分市)に万寿寺別院のため土地7万坪を寄進するなど地域に貢献しました。
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「宇都宮家」と「麻生家」と「蔵内家」は家紋が同じ「三つ巴」です。
家紋からもつながりが深いとうかがえますね。
<宇都宮家・蔵内家 家紋 左三つ巴>
<麻生家の家紋 長尾三つ巴>
<旧蔵内邸 玄関>
さらに「麻生太郎」は「獣医師問題議員連盟」の会長でもあり、獣医学部新設に反対しています。
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麻生太郎財務相が持論 「獣医学部新設は獣医師の質の低下招く」 弁護士の例挙げ 過去には日本獣医師会会長就任祝賀会で発起人
麻生太郎財務相は26日の閣議後会見で、安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計(かけ)学園」(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐる問題について、「(獣医学部を新設は)獣医師の質の低下につながる」との認識を示した。
麻生氏は法科大学院の増設が弁護士の質の低下を招いたなどと例を挙げ、獣医学部新設が同様の結果を招く可能性があることを強調。
「(獣医学部)完成後のアフターケアもみなければいけない。(同学園獣医学部新設予定地の)四国に学部ができたけど、子どもが1人も入らないとなったら、どうしようもなくなる」と指摘した。
計画をめぐっては、日本獣医師会が新設を反対していた。
麻生氏は平成25年に開催された日本獣医師会の蔵内勇夫会長就任記念祝賀会では、麻生氏が発起人を務めるなど関わりが深い。
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このように読み解いていきますと、やっぱり「麻生太郎」もしっかりとかかわっており、この問題を表面化させた黒幕といえます。
関連人物を調べていくと、個人的な争いではなく「安倍晋三(出雲族)」と「麻生太郎(秦氏)」の勢力争いだということがわかりました。
そしてかれらの周辺でうごめく同族たちも、さまざまな悪事を働いているのです。
奥深く調べれば調べるほど、「RAPT理論」がどれほど凄いのか実感します。
この「加計学園問題」も「RAPT理論」を元に調べるだけで簡単にものごとの全体を理解することができました。
どんな事件や問題も、かれらのルーツやつながりをたどれば問題の根本がかならず見えてきます。
すこし調べるだけで、よくわからなかったことが鮮明になっていきます。
いつまでもわからないままにしておくのでなく、わかるようにしていくことで世の中の動きをもっと把握することができます。
今後もさらに真実を調べて書き綴って参ります。