前回の記事では、1985年におこった「JAL123便墜落事故」の背景について書いていきました。
○【JAL123便墜落事故の裏側】1985年の真実と黒幕「統一教」について
「リクルート事件」「グリコ森永事件」「JAL123便墜落事故」、これらの一連の事件にはすべて「統一教」がかかわっていることがわかりました。
「JAL」「日本航空」は飛行機を墜落させられた被害者なのでしょうか?
いいえ、違います。
いろいろと調べる中で、「日本航空」もグルだったのではないかと思わせる情報が出てきました。
1985年の時点で「JAL」は「統一教」によって腐敗していたのです。
1985年当時の「日本航空」の会長は「花村仁八郎」です。
この人物について見ていきましょう。
<花村仁八郎>
—————————————————–(以下こちらから転載)
来歴・人物
福岡県飯塚市生まれ。
嘉穂中学校(旧制)、山口高等学校 (旧制)を経て、1932年東京帝国大学経済学部を卒業。
卒業後、国立福岡少年院教官を経て、1942年に東大経済学部時代の同期であった帆足計に誘われ、経団連の前身である重要産業協議会に入り、1946年経済団体連合会(経団連)の設立に伴い、総務部次長となる。
1953年から1954年の海運造船疑獄事件で政治献金への世間の不信が高まったのをきっかけに、当時、経団連副会長であった植村甲午郎の下でそれまでの個々の企業からの献金をやめ、経団連を通じての自由民主党への献金システム作りを担当、企業献金に関わるようになり、後に財界政治部長の異名を取る。
1975年経団連事務総長、1976年より同副会長を兼務し、1988年に相談役に退くまでの間、日本航空会長などを歴任した。
—————————————————–(転載ここまで)
「経団連」事務総長や副会長を兼任しただけでなく、「自由民主党」へ献金するためのシステムを作ったとのこと。
そして1983年から1985年の間に「日本航空」の代表取締役会長に就任しています。
経歴を見るだけで、怪しいにおいがプンプンしてきますね。
上記の「自民党」の献金システムを、「国民政治協会」といいます。
—————————————————–(以下こちらから転載)
(一部抜粋)
もともと日本経団連と自民党は表裏一体の関係にあるのです。
1955年当時、社会党の台頭はすさまじいものがあり、社会主義政党が政権を取ることを恐れた日本経団連は、総会において、旧自由党と旧民主党の統一を要請する決議を行い、自由民主党の結党を助けたのです。
そして、日本経団連第3代会長の植村甲午郎氏と副会長の花村仁八郎氏は、財界からの政治献金の窓口を一本化するために自民党の政治資金団体「国民政治協会」の前身を設立したのです。
この花村仁八郎という人物は「財界の政治部長」といわれており、次の有名な言葉を残しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
政治献金は自由経済体制を守るための保険料であり、自民党政治を続けるためのコストである。
──花村仁八郎
――――――――――――――――――――――――――
—————————————————–(転載ここまで)
「経団連」と「自民党」は一心同体。
Wikipediaを見てみると、「経団連」の名誉会長には「トヨタ」「東レ」「キヤノン」「住友化学」などの重役たちが名を連ねていることがわかります。
「経団連」と「自民党」がどれほどつながっているのかを、「自民党」の「企業献金番付」で見てみましょう。
—————————————————–(以下こちらから転載)
【新聞ウォッチ】自民党への企業献金番付…1位はトヨタ6440万円、スバルが9位浮上
総務省が、政党や政治団体などが提出した2016年分の政治資金収支報告書を公表した。
それによると、自民党への献金の受け皿となる政治資金団体に対する企業・団体献金は前年比1.3%増の23億2000万円となり、第2次安倍晋三内閣が発足した以降、5年連続で増加したそうだ。
政党本部の収入は自民党が241億3000万円で4年連続トップ。
民進党(106億8000万円)の倍以上で資金面の「安倍1強」が鮮明となったという。
きょうの各紙も「自民資金も『1強』」(毎日)などの見出しが目立つ。
このうち、産経が経済面で「自民への企業献金23億円、伸び率は縮小、トヨタがトップ」との見出しで取り上げているが、寄付が最も多かった業界団体は日本自動車工業会の8040万円。
次いで日本鉄鋼連盟が8000万円、日本電機工業会が7700万円といずれも前年と同額。
個人企業ではトップがトヨタ自動車で6440万円、2位が東レの5000万円、3位がキヤノンの4000万円、4位が住友化学の3600万円と、各社とも献金額は前年に比べて横ばいだが、上位4社が経団連会長を輩出しているのが共通している。
5位以下の企業では、無資格検査問題で揺れる日産自動車が5位で3500万円、SUBARU(スバル)が前年よりも390万円アップして3060万円となり、11位のパナソニック、日立製作所の2850万円などを抜いて9位に浮上した。
ホンダは前年並みの2500万円で15位だった。
—————————————————–(転載ここまで)
どの企業も「経団連」の重役名簿に出てきますね。
で、この「経団連」と「自民党」との太いパイプを持った「花村仁八郎」が「JAL123便墜落事故」当時の「日本航空代表取締役会長」だったのです。
これだけでもじゅうぶんにあやしいのですが、ここからさらに核心へ迫っていきます。
彼のWikipediaを見てみると以下のように書いてあります。
—————————————————–(以下こちらから転載)
日韓文化交流にも力を注ぎ、1991年には大韓民国より修交勲章光化章を受章している。
1981年勲一等瑞宝章受章。贈従三位、1997年1月4日死去、享年88。
—————————————————–(転載ここまで)
ここで韓国が出てきました。
具体的には、1983年に設立された、「日韓文化交流基金」の会長に就任しています。
さらには「日韓文化交流協会」なる組織から寄付の依頼を受けています。
以下は「日韓文化交流協会」の活動記録です。
—————————————————–(以下こちらから転載)
沿革
◇1982年12月
第2代在韓国日本国大使を務めた金山政英氏が日韓関係を改善するために日韓文化交流協会を発会。
第1回の訪韓団を派遣。以後、随時、訪韓団を派遣。
◇1984年9月
韓国交通日報に日韓の相互理解に寄与した訪韓団として報じられる。
定期的な訪韓団の派遣に対して韓国の交通部長官より感謝状を授与される。
◇1987年11月
「韓日・日韓親善音楽と舞踊の夕べ」を韓国律呂楽会と共同主催、韓国放送公社、国際交流基金、日韓親善協会などが後援。
◇1988年6月
第73回文化交流訪韓団の活動が韓国KBSテレビのニュースで紹介される。
同年7月、在日大韓婦人会中央本部の呉基文初代会長より、第2次大戦中、日本軍によってサハリンに強制連行されたまま帰れなくなった韓国人の妻たちのための老人ホーム建設計画が伝えられた。
金山会長はすぐに老人ホーム建設支援の会を作り自ら会長に就任、経団連会館に花村仁八郎副会長(当時)を訪ね、老人ホーム建設費用として1億5千万円の寄付を依頼した。
同年10月、韓国の老人ホーム建設支援のためのチャリティー公演「韓国・国立国楽院公演」を主催。
◇1990年8月
文化交流訪韓団第100回派遣達成記念式典をソウルで行う。
天江喜七郎駐韓日本公使(当時)夫妻をはじめ1,000人が参席。
◇1991年8月
韓国姉妹団体・韓日文化交流協会創立。
ソウルで記念式典を行う。
金山政英会長、柳健一駐韓日本大使(当時)夫妻をはじめ700人が参席。
同年11月、大朝救国院老人ホーム(地下1階、地上3階)の建物外郭がほぼ完成。
◇1992年10月
経団連社会貢献部の金子敏夫監査役、日本電気工業会総務部の冨田真司主任、電気事業連合会秘書課の中山一彦委員、日本鉄鋼連盟総務部の本田稔副長が老人ホームを視察。(肩書は当時)。
◇1993年5月
老人ホーム建設のための送金(約1億1千万円)を終了。
老人ホーム落成。
◇1997年11月
金山政英会長逝去。この間、多くの韓国の芸術文化を日本に紹介する。
◇2000年10月
[日韓弁護士協議会]の秋山昭八会長が理事長に就任。
◇2001年5月
韓国・釜山広域市主催、2002年釜山アジア競技大会開催記念 釜山市立国楽管弦楽団東京公演を(東京オペラシティー・コンサートホール)を後援。
◇2002年4月
韓国国立バレエ団初来日公演を東京、神奈川、千葉、名古屋で主催。
外務省、駐日韓国大使館・文化院、社団法人日本バレエ協会、在日体感民国民団中央本部、日韓親善協会中央会が後援。
国際交流基金が助成。
—————————————————–(転載ここまで)
「日韓文化交流協会」会長の「金山政英」は「花村仁八郎」に1億5千万円もの寄付を依頼しています。
それによって集まった寄付金で老人ホームを建てたとのこと。
「金山政英」は「統一教」の合同結婚式に祝辞を送っています。
<金山政英>
—————————————————–(以下こちらから転載)
<金山政英(かなやま・まさひで)略歴>
1909年東京生まれ。東京帝国大法学部卒。外交官試験合格。
カトリック信徒の外交官として、1941年3月から1952年6月までの11年間を家族と共にバチカンで過ごした。
バチカン代理公使、マニラ在外事務所参事官、ホノルル総領事等を経て1957年、欧亜局長。
その後、ニューヨーク総領事、チリ特命全権大使、ポーランド大使、大韓民国大使を歴任。
国際関係共同研究所所長。統一教会創始者・文鮮明師の平和理念に賛同し、日韓文化交流協会会長・日韓親善協会理事長として日韓親善に尽力した。
著書に「誰も書かなかったバチカン」(サンケイ出版)、「日韓新時代の夢」(国書刊行会)等がある。
1997年逝去。
東京のカトリック教会に埋葬されたが、遺言により遺骨の一部は韓国・京畿道波州市の教会墓地に埋葬された。
(統一教会6000組合同結婚式(1982.10.14)における金山政英氏の祝辞
――― 統一教会発行「大祝典」より)
—————————————————–(転載ここまで)
これだけではありません。
「統一教」の教祖である「文鮮明」が創設した、少女だけを集めた舞踊団「リトルエンジェルズ」を日本に招いています。
「中曾根康弘」もばっちり「リトルエンジェルズ」と写真におさまっています。
—————————————————–(以下こちらから転載)
1972年3月に外交官を退官した後は、日韓の友好親善に努めた。
1982年12月には日韓文化交流協会中央会会長に就任。
日韓の友好親善を推進するには、まず多くの日本人が韓国を正しく理解することが重要だとして、定期的に文化交流訪韓団を派遣、その回数はこれまで160回に及び、延べ参加人数は2万人を超えた。
優れた韓国の芸術文化を日本に紹介するため、韓国の代表的な少女民族舞踊団リトルエンジェルスや、「踊る東洋の真珠」とソウル新聞(1996年12月21日付)に絶賛されたユニバーサルバレエ団を日本に招聘、全国各地で毎年公演活動を行い、数万の人々に感動を与えた。
—————————————————–(転載ここまで)
「金山政英」はカトリック信徒だと自称しながらも、「韓国」「統一教」と親密な関係をもっています。
そんな彼から「花村仁八郎」は寄付の依頼をされました。
これは「花村仁八郎」が「統一教」とつながっている証拠ですし、彼自身も日韓の文化交流に力を入れていました。
1985年の「日本航空」はすでに「統一教」のパイプが出来上がっていたのです。
ちなみに、「リトルエンジェルズ」が日本に招かれたとき、「平成天皇」と「美智子皇后」が公演を観覧しています。
また、「美智子皇后」の恩師である大学教授は「統一教」の信者であることもわかりました。
—————————————————–(以下こちらから転載)
<統一教会(日本)での活動>
『1971年1月8日、日本全国公演をしていたリトルエンジェルスを天皇皇后両陛下(当時皇太子殿下夫妻)、秩父宮妃殿下等がご観覧。
同年5月14日、久保木会長が蒋介石総統と会見。
同年6月16日、久保木会長がローマ法王(パウロ6世)に拝謁。
1972年12月26日、リトルエンジェルス公演を皇后陛下(美智子妃殿下)、常陸宮殿下夫妻、秩父宮妃殿下らがご観覧。
なお、皇后陛下の恩師・助野健太郎・聖心女子大名誉教授は文師の深い信奉者である。』
(皇太子殿下御夫妻(現天皇皇后両陛下)がリトルエンジェルスをご観覧、賛辞を贈られた。1971年1月8日)
—————————————————–(転載ここまで)
「美智子皇后」と「統一教」の接点も見えてきましたね。
「JAL123便墜落事故」を違う角度から調べても、かならず「天皇家」「正田家」「統一教」につながります。
「山口組」も同様です。
「後藤忠政」という人物をご存知でしょうか。
「後藤組」の組長であり、「山口組」に属していた経歴を持っています。
<後藤忠政>
彼は過去に「日本航空」の「筆頭株主」でもありました。
「日本航空」は暴力団の手中にあったのです。
—————————————————–(以下こちらから転載)
暴力団・川内組の組員だった1969年、富士宮市に暴力団・後藤組を結成して組長となった。
川内組組長・川内弘は、菅谷組組長であり三代目山口組若頭補佐であった菅谷政雄の舎弟であった。
後藤組はその後、静岡県における山口組勢力拡大の嚆矢となったが、1977年、川内の破門・殺害によって川内組が事実上消滅したため、浜松市を拠点とする山口組系伊堂組(組長・伊堂敏雄)に舎弟として移籍した。
1984年7月、竹中正久を組長とする四代目山口組が発足すると伊堂は引退、後藤は山口組直参に昇格した。
後藤は武闘派として、同年に勃発した一和会との山一抗争で積極的に働いた他、渡辺芳則を組長とする五代目山口組の東京進出に際しては、その先駆けとなって勢力の拡大に寄与した。
1992年には後藤組組員5人が、暴力団を描いた映画『ミンボーの女』の監督伊丹十三を襲撃した。
2002年7月、山口組若頭補佐に就任した。
2005年8月、六代目山口組の発足に伴い、同組舎弟に直った。
日本航空(JAL)の個人筆頭株主でもあった。
2008年10月、山口組から除籍処分を受けた。山口組の会合への欠席などが問題視されたためと見られている。
これを機に引退した。
—————————————————–(転載ここまで)
さらに「後藤組」について見てみましょう。
—————————————————–(以下こちらから転載)
後藤組(ごとうぐみ)は、静岡県に本拠を置く指定暴力団 六代目山口組の2次団体
後藤組の概要
※平成20年(2008年)10月14日までに、山口組から除籍処分を受けた。
■武闘派経済ヤクザ
怪死、変死、タブーとなる事件の裏には後藤組が必ず関与している と言っていいほど、政界、経済界、宗教、芸能界とその闇の影響力は計り知れない。
山口組の幹部曰く後藤組のフロント企業は銀行以外の全てのジャンルに渡っているらしい。
後藤組の主なフロント企業
芸能 バーニングプロ ※オスカーに鞍替えの噂あり
IT ライブドア
金融 武富士 日本ファースト証券
不動産 ダイナシティ 菱和ライフクリエイト(現クレアスライフ) エム・プランニング
福祉 キャピタルインベストジャパンは有料老人ホーム事業への出資で暗躍。
格闘技 PRIDE
後藤組が関与した事件
伊丹 十三襲撃事件
1992年5月22日夜に、自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負うが、「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した
(病院に搬送された際に取材陣から「大丈夫ですか!?」と声をかけられて、声こそ出なかったもののピースサインで応えた)。
警察は現場の車より山口組系後藤組の犯行であることを突き止めた。
5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。
青山刺殺事件
2006年3月5日午後9時50分ごろ、東京都港区北青山の路上で元会社役員野崎和興さん(58)が殺害された事件。
渋谷区代々木のテナントビル(12階建て)を後藤組の関連会社「赤富士」が取得したように見せかける虚偽登記した際、野崎さんはビル管理会社の役員と顧問を務め、赤富士とのトラブル処理を担当していた。
後藤組との直接的関与が疑われる団体
・オウム真理教(現アーレフ) 上九一色村のサティアンで作っていた覚醒剤をさばいていたのは後藤組か
・創価学会 創価学会と後藤組の繋がりは70年代「富士桜自然墓地公園」の地上げに始まり、80年代に報酬をめぐりこじれる。
83年3月、後藤組長は池田氏と竹入氏に学会を非難する内容証明付き郵便を送る。
85年11月、新宿の創価文化会館にカチコミがある。
学会本部に右翼の街宣車が来たりで、公明党代議士、藤井富雄は元警視総監らの仲介で後藤組長と接触。
95年12月頃(住専国会)、藤井氏と後藤組長の密会ビデオが自民党に届いたと取りざたされ反学会の急先鋒、亀井氏の命が狙われているとSPが増員される。
—————————————————–(転載ここまで)
「オウム真理教」は「中曽根内閣」を支えた「後藤田正晴」とつながっていますね。
彼はこのような黒い過去を持ちながらも、現在は「カンボジア」で事業に成功し、「伯爵」の地位となって悠々自適な生活を送っています。
<衛兵に迎えられカンボジア国王軍の施設「プノンペン・スタジアム」に入場する後藤元組長>
彼が過去に「日本航空」の筆頭株主だった、というだけではなく、ここからさらに「統一教」とのつながりが見えてきます。
「後藤忠政」は幅広い分野で顔の利く人物だったことがわかります。
都合の悪いトラブルが起こったときに助けを求めてくる人も多くいたはずです。
悪人たちの悪行は悪人でなければもみ消すことができません。
「後藤忠政」に自身が起こした犯罪の収拾をしてもらった人物の一人が「糸山栄太郎」です。
彼も一時「日本航空」の筆頭株主となり、2002年には「日本航空 特別顧問」に就任しています。
<糸山栄太郎>
彼は「日本航空特別顧問」に就任した翌年2003年に未成年買春で世間を騒がせました。
—————————————————–(以下こちらから転載)
2003年7月12日、イトヤマタワー18階の自宅で、元暴力団組長から紹介された16歳の少女に15万円の現金を渡して買春、元暴力団組長ら3人が児童福祉法違反で逮捕された。
買春相手が18歳未満だとは知らされなかったとして、児童福祉法違反に問われることはなかった。
—————————————————–(転載ここまで)
16歳の少女と淫行に及んだにもかかわらず、逮捕を免れました。
この一件を根回しによってもみ消したのが「後藤忠政」だったのです。
—————————————————–(以下こちらから転載)
糸山 英太郎 (元自民党参・衆議員議員 日本航空の個人筆頭株主 石原慎太郎の親友)
2003年7月12日頃、ザ・イトヤマタワー18階の自宅で、元暴力団組長から紹介された16歳の少女に15万円の現金を渡して買春、このことが警察に露見し元暴力団組長ら3人が児童福祉法違反で逮捕された。
しかし買春相手が18歳未満だとは知らされなかったとして、児童福祉法違反に問われることはなかった。
このとき、事件もみ消しに暗躍したのが、五代目山口組若頭補佐(当時)だった後藤忠政・後藤組組長であり、後に謝礼として慰労金を渡したと報道された。
※後藤忠政も武富士の資金援助により日航株を取得しており、糸山に買い取らせる為と思われる。
プチエンジェル事件でも両者の関与がある。
—————————————————–(転載ここまで)
この一件の前から彼らは面識があったわけですが、この事件以降、「糸山栄太郎」が「後藤忠正」を接待する姿が目撃されています。
—————————————————–(以下こちらから転載)
231 :無党派さん :04/02/06 09:58 id:zlZJL7we
【糸山英太郎少女買春事案の一断面】
2002年3月に暴力団山口組幹部の後藤忠政を接待する際、モデル等やレースクィーンのグルービを集めたのも「英太郎」だった。
一次会は警視庁が確認している分では、恵比寿駅にほど近い高級中国料理店で行われ、その席には「英太郎」も同席していた。
二次会の六本木では英太郎は退席したが、後藤忠政は秘書とともにイラク戦争について、頓珍漢な自説を得々と話しながら、札束をグルービにばらまいていた。
気に入った女の子へは4月に伊豆に渡辺組長が来てパーティーを開くので来るように誘っていた。
その際、鞄から輪ゴムがついた札束を数個を机に叩き出し、「知ってるやろ? スチュワーデスしてたんやったら知ってるやろ?元国会議員のおっさんや。あいつから集金してきたんや」と後藤は言って、女達に配りだした。
そして秘書の方を向き「わし、まるで美人局みたいやな」と、大笑いしていた。
何故、後藤に糸山から“集金”していたのか?
「今回の事件関係者の“上流”にいる男」が何故、一次会だけとは言え、この席に出席していたのか?
そして、何故女性を多数集めてまで後藤忠政を接待していたのか?
糸山英太郎、後藤忠政、ともに航空会社の大株主であるが、そのような投資家としての繋がりなど、誰も信用していない。
実際、先の男は丸の内署での聴取の際も「投資家としての繋がり」と、糸山と後藤の関係を供述していた。
が、あくまでも建前であり、その建前のみを調書に記載し、核心を外部はおろか、検察官すら読めない内部の復命書のみに閉じ込めた警視庁の体質も批判されてしかるべきだろう。
255 :無党派さん :04/02/13 00:08 ID:4cixt5i7
【英太郎と後藤組長・・その1】
糸山英太郎がHPで友人である武富士の武井会長擁護論を展開している。
自分と同じ大資産家が盗聴などやるわけがないというキテレツ理論を振り回してであるが・・・・
この英太郎と武井を結ぶ接点が山口組系暴力団後藤組組長の後藤忠政である。
この後藤という人物は山口組若頭補佐という闇社会屈指の実力者である。
その後藤組長を昨年3月に英太郎が接待をしている。接待場所は恵比寿駅近くの超高級中華料理店。
貸し切り状態の店にはレースクイーンやモデル経験者の高級コールガールがホステスとして揃えられていた。
北朝鮮の喜び組接待と同様の図式である。
脳味噌の薄い独裁者は考えることに大差がない。
このホステス連中は数時間後、ホテルのスィートルームで背中一杯に倶利伽藍門門を彫り込んだ極道衆とベッドを共にすることになる。
256 :無党派さん :04/02/13 00:09 ID:4cixt5i7
【英太郎と後藤組長・・その2】
この宴席で深々と頭を下げた英太郎が分厚い包みを後藤組長に渡しているのが目撃されている。
この接待が何を意味するのかは既出の通り、ロリコンをネタに飼い犬に手を噛まれそうになった英太郎が後藤の手を煩わしたことに対する謝礼である。
が、英太郎や後藤にとっての誤算はことが公になったことだろう。
ロリコンオヤジの尻拭いにタマまで取るのはとの逡巡が事態を悪化させたのである。
それでも山口組だけでなく政界にも顔が利くのが英太郎の強みか。
ロリコン遊びはしましたが、16才とは知りませんでしたの言い訳が通っての無罪放免となったのである。
かくして英太郎はロリコン趣味を世間に晒し、飼い犬連中は留置所生活となる。
後藤組長は極道らしからぬ手際の悪さで極道界の嘲笑を浴び、警察やマスコミは根性なしのレッテルを貼られる。
三方一両損どころか全員百両損状態である。
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いかがわしい噂ばかり出てくる「糸山栄太郎」は「後藤忠政」と繋がっています。
彼らは「プチエンジェル事件」という少女売春事件にもかかわっています。
○プチエンジェル事件の真相まとめ!顧客名簿・犯人の正体など徹底紹介
この「糸山栄太郎」の妻が「笹川良一」の姪なのです。
<笹川良一>
「笹川良一」は「統一教」の政治団体「勝共連合」の名誉会長でしたね。
—————————————————–(以下こちらから転載)
—————————————————–(転載ここまで)
めぐりめぐってまたもや「統一教」にたどりつきました。
「日本航空」は外部だけでなく、内部にも「統一教」の影がうごめいています。
「日本航空」は決して事故の被害者ではなかったのです。
彼らは自分の悪事にふたをして、見えないように隠しているつもりでしょう。
しかし汚物にふたをしたところで必ずその悪臭はかぎつけられてしまいます。
さまざまな未解決事件からも「統一教」の悪臭がただよってきます。
次回は別の事件と「統一教」について書いていきたいと思います。